【しおんのストーリー③】生まれて初めて、アメリカ合衆国に足を踏み入れ、異国の地で衝撃を受けたこと

しおんのストーリー

こんにちは、しおんです。

この「しおんのストーリー」では、私の40年以上の生い立ちの中で、とても衝撃的で印象に残ったできごとを紹介しています。

前回の【しおんのストーリー②】人生の路頭に迷ってから、新大久保でアメリカ合衆国に移住するキップを手に入れ、蕎麦屋さんで短期ブートキャンプをするでは「アメリカ行きの具体的な話しを、ある人物に聞きに行き、その後、たった5日間で、それまで未経験だった蕎麦のつくりかたを習得した」ことを紹介しました。

それではストーリー3をぜひお楽しみください。

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生まれて初めて、アメリカ合衆国に足を踏み入れ、異国の地で衝撃を受けたこと

いざ、アメリカ合衆国へ

5日間の蕎麦屋さんの修行を終え、そして、いざアメリカ合衆国へと旅出つことになった。その日は2000年のクリスマスの日だった。

成田から飛行機で出発して、16時間後にロサンゼルス空港に降り立った。

入国審査を終え、ゲートを出るとそこで私を待ってくれていたのは、新大久保の事務所で社長らしき人物の横にいた、日本語が流ちょうな韓国人のケンさんだった。

そしてそのケンさんの隣には、あさ黒い肌をした中肉中背の強面の男が立っていた。

雰囲気からいって、この人物がレストランのオーナーだろう。

オーナーらしい男は私を見るなり、

「ウエルカム、アメリカ」

「ナイストゥミーチュー 」

とハスキーボイスの片言の英語で、わたしに片手を差し出しながら挨拶をしてきた。

私は「ハロー」といいながら両手で彼と握手をした。

ケンさんは、「この人が仕事を依頼したレストランのオーナーだ」と私に紹介してくれた。

強面のオーナーはケンさんと同じ韓国人だった。見た感じから「ボス」と呼ばれるのにぴったりな風ぼうをしていた。

ダークグリーンのレンジローバーの後部座席に乗せられ、オーナーは助手席に乗り、ケンさんが運転をし車を走らせた。

生まれて初めて足を踏んだアメリカだった。

アメリカの国歌が私の頭の中で鳴り響く。

車窓から見える光景のあらゆるものが私を驚かせた。

背の高いヤシの木がいたるところに生えている。バカでかいアメ車や片側6車線の道路、白い壁の建物、全て英語で書かれているサインボード、道路わきに立ち並ぶ永遠と続く店舗やレストラン。

見るものすべてが西海岸の強い日差しに照らされ、また私にとって新鮮なこともあり、光輝いて見えた。

「オレ、ここからはじまる成功への道、神様が与えてくれた道」こころの中でそうつぶやいた。

気づいたら、オーナーが助手席からカタコトの英語で話しかけてきていたようだ。アメリカという異国に来て、気分が高揚して、夢中で外の風景を眺めていたので全然耳に入ってこなかった。

空港から40分くらい車を走らせ、ある場所へと到着した。 

道路に面している、300台くらい停められる駐車場に車を停車し、同じ敷地内にある、平屋の建物へオーナーと向かった。

アメリカン・レストランのスタッフはダイバーシティー(多様)だった

その建物がオーナーが経営するアメリカン・レストランということだった。

両開きの木製の無垢のドアを開くと、自然木をふんだんに使った、レストランのインテリアが目に入った。

右側にはボックス席が並び、左がカウンター席になっていた。

奥に進むと、さらに別の空間があり4人掛けのテーブル席が20卓ほど並んでいた。

エントランスは広く、レストランの天井は高く、装飾にこだわりがあり、アメリカンレストランといえども高級なクラスに値すると思う。

オーナーはそこで働いている人達に私を紹介してくれた。

韓国人の女性マネージャー、メキシコ人のシェフ、メキシコ人のウエィターとウェイトレス、エチオピア人のウェイトレス、タイ人のウェイトレスに次々に「ハロー」と軽く挨拶をした。みんな笑顔で私のことを歓迎してくれた。

のちのち、働いてわかったことだが、このアメリカン・レストランの創業は40年ほど。24時間営業で、3交代でスタッフは働いている。古くからいるスタッフも多くいた。

スタッフの内容はというと、

[キッチン]

フィリピン人のシェフマネージャー1人
メキシコ人のシェフ4人
キッチンヘルパー1人

[ウェイトレス]

メキシコ人3人
タイ人1人
エチオピア人1人

[ウェイタ-]

メキシコ人1人
アメリカ人とメキシコ人のハーフ1人
マレーシア人1人

[バスボーイ(ウェイトレスのアシスタント)]

メキシコ人2人

[ディッシュ・ウオッシャー]

メキシコ人2人

の他、たまにオーナーの奥さん、娘、息子が店を見に来ることがある。

様々な人種の人達と、今後一緒に働くことになる。

その日は、オーナーが経営しているナイトクラブに行ったり、ボスのビジネスパートナーに会ったりと、いろいろな人に紹介され、そういう場面にふだんなれてない私はくったくったになっていた。

その夜、レストランのすぐ横にある15階建てのアパートメントの一室が、私の住まいにあてがわれているということで案内された。

部屋の中に入った私は驚いた。

日本では16㎡ほどの、狭くるしいワンルームの安アパートに住んでいた私は、日本の2DKのアパートよりも広く感じる、80㎡ほどの1DKの部屋に、たった一人で住めることになったからだ。しかも場所はロサンゼルスだ。

古いながらもTV、ビデオ、ベッドまでも用意してくれ、そのもてなしにとても満足した。

早く一人きりになりたいと、ずっと思っていたので、この部屋でやっと一人になれホッとした。

ベッドにもぐり込み回想した・・・。

あの時、個別宅配のアルバイトをしながらギャンブル中毒になり、人生の路頭に迷ったとき、

「もう、こんな現状はいやです。どうか人生を180度ガラッと変えるようなできごとを起こしてください」とくり返し、くり返し、神様にお願いをしたからこそ、こうしてこの場に来れたのだと思う。

今私は思う。人は皆平等であるとはいえない。「生まれながらにハンディキャップを背負ったり」、「貧しくて苦しんでる者」もいれば、「毎日を悠々自適に楽しく暮らしている人」もいる。

「生まれながらもってる才能で世の中の脚光を浴び、莫大な財を築いている者」もいる。

けれども、私が思うすべての人間に与えられた平等とは、

「人間誰もが死を迎える」

ということと、

「人間誰もが願えば望みは叶う」

ということだ。

アメリカに来る前はパチスロにはまり、人生の路頭に迷っていた自分。

そんな境遇を話せる友人も、仲間もなくそれでいて、人に会うのも億劫だった男が、こうしてたった一日で環境が激変した。

つづく

ストーリー③ おわりに

これから、いろいろな人物と出会い、歓迎されたり、嫌な思いに遭遇することになりますが、

ここからはじまるアメリカでのでき事が、今現在の私の「思考力」、「原動力」、「行動力」、その他すべてにつながっているといっても過言ではありません。

その時はどうでもよく、気づかなかったことが、今になって過去を思い出すと、「自分にとってものすごい重要なことだった」っていう経験が、みなさんにもあるでしょうか?

私はギャンブル中毒になり、路頭に迷い、願い事の力でアメリカの地へ足を踏み入れ、人生を激変させました。

今、人生で路頭に迷っている人に伝えたいのは、「いつかぜったいに、その暗いトンネルから抜け出せる日がくる」「神様に願いをすれば、かならず環境が変わる日が訪れる」「だから神様に願ってください!!」ということです。

ここでいう神様とは、信じられるもの、例えば仏教の仏でも良いし、大自然でも、自分自身でも、なんでもいいのです。

願いが叶うと、環境が一変することなり、今まで、殻の中に閉じこもっていて、楽して心地よかった自分の殻を、外側から無理やり剥ぎ取られてしまうような気分を味わうことになります。

自分の無能さと無力さを世間にあらわして、とても苦痛をともないますが、こうでもしない限り変わりません。

そして、自分には何が人より優れていて、何が足りないかが見えてきます。

今回は以上となります。

次回のストーリー④ではいよいよ私のつくる、「そば」、「うどん」がアメリカンレストランのメニューに出せるかどうかを試されます。

次へ>>【しおんのストーリー④】いよいよ私のつくる「そば」「うどん」がアメリカン・レストランのメニューで出せるかどうかを試される

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ぜひ、次回もお楽しみください。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
次回、またお会いしましょう。
でわっ!

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