こんにちは、しおんです。
この「しおんのストーリー」では、私の40年以上の生い立ちの中で、とても衝撃的で印象に残ったできごとを紹介しています。
前回は「とうとう生まれて初めて、アメリカ合衆国に足を踏み入れ、異国の地で衝撃を受けたこと」を紹介しました。
それではストーリー④をどうぞお楽しみください。
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いよいよ私のつくる、「そば」「うどん」がアメリカン・レストランのメニューで出せるかどうかを試される

確か私がアメリカに足を踏み入れたのが、ちょうどクリスマスの日だった。
その次の日、私とボス(レストランオーナー)は、レストランで使う道具や材料を仕入れに、買い出しに行き、そのあと、ボスの経営するナイトクラブにある厨房で、「そば」、「うどん」、「丼ぶり」、「天ぷら」等の試食をつくることになった。
そこにはナイトクラブのホステスたちが働いていて、店がオープンする前、厨房にまかないを食べに来ていた。
人種は圧倒的に韓国人の女の子が多かったが、アメリカ人や、日系イタリア人なんて子もいた。キレイな子達ばかりで圧倒された。
そして「ミミ」という純血の日本人のホステスともそこで出会った。
私が調理をしているときに、韓国人のホステスたちは、近くに寄ってきては「あなたの料理はおいしいね」とか気軽に、何かしら声をかけてくれたりした。
そこが日本人とは違って、男女関係の境があまりなく、「韓国人てとてもフレンドリーなんだなぁ」と私に良い印象を与えた。
それからの6日間は、常にボスと行動をともにした。昼間は現地視察の為にいろいろな、日本食レストランへ行き「そば」、「うどん」を試食したり、ダウンタウンにある、日本人街の「リトルトーキョー」へも行ったりした。味はどこもおいしいと思えるところはなかった。
夕方はいつもボスの行きつけのサウナへ行き、ボスの友人やビジネスパートナーに会い、私を紹介してくれた。中には全身刺青をしている人物もいた。
夜はナイトクラブの厨房で、「そば」、「うどん」、「丼もの」「天ぷら」をつくりボスやボスの周りにいる人に、試食をしてもらうというスケジュールだった。
アメリカに来て6日目に、「うどん」、「そば」、「丼もの」の試食にボスからの「オーケー」が出た。
私のつくる日本食がアメリカン・レストランのメニューとして出されることになったのだ。私はほっと胸をなでおろした。
その日は2000年の大晦日だった。
試食会を終え、ミレニアムニューイヤーを向かえる
その日の夜、ボスが運転するランドローバーの助手席に乗り、後部座席にはナイトクラブのホステス達が4人乗車し、我々はレストランを出発した。
ランドローバーの後ろからは、ボスの奥さんが運転する、白のBMW525i が後をつけていた。
一行はラスベガスへと向かった。
片側3車線以上あるフリーウエイを、時速150km/hを超えるスピードで飛ばしつづけた。市街を抜けると外は真暗闇につつまれた。
5時間ほど経ったころだろうか、突然道路の正面のはるか遠くに見える山々の稜線の間から、宝石箱の中の大量の宝石をひっくり返したような、光り輝く光景が目に飛び込んできた。
ラスベガスの100万ドルの夜景だった。
ラスベガスに近づくにつれ、夜景はどんどん広がっていく。
ラスベガスの市街地に入ると、映画でみたようなバカでかいサインボードや、豪奢なホテルのエントランス、ライオンの彫刻、噴水、リムジン、など全てのスケールの大きさに圧倒された。
街全体がネオンの明かりでギラギラしていて、いかにもラスベガスといった感じだった。
ホテルのエントランスに着いた。どうやら我々が泊まるホテルのようだ。
ホテルのチェックインを済ませ、すぐ表へ出た。ボスに連れられ移動する。街中に人があふれ出ていた。
それもそのはず、時代は2000年から2001年へ20世紀から21世紀へ移り変わろうとしている、まさに世紀の変わり目の記念日だったからだ。
新世紀を祝福する大声をあげ、興奮して騒ぎまくるアメリカ人の群衆。
新しい世紀に変わろうとしているその日、神様は私に最高のプレゼントを与えてくれた。
ボスと私は人々の群れをかき分け、押し合い、へし合いしながら移動した。
それにしてもすごい人いきれだ。しばらくそうして歩いているうちにカジノ場に到着した。
そこには、さっきまで一緒にランドローバーに乗っていた、韓国人のホステス4人が待ちかまえていた。
彼女たちは私が、ナイトクラブの厨房で「そば」、「うどん」の試食をつくっている時にたまに見かけたが、あらためてまじまじと見ると4人とも皆、とても綺麗な顔だちをしている。
ボスから自由にしていいといわれたので、いろいろなゲームをみて回ることにした。
ルーレット、ブラックジャック、ポーカー、くらいしかルールが分からない。
手持ちぶさただったので、1番低い掛け金5ドルからプレイできる、ブラックジャックのテーブルに座りプレイした。
始めのほうは、ほどよく勝ったり、ドローだったりしていたが、1時間くらいして負けが続いて1万円を両替したチップがなくなり中断した。
ボスの様子を見に行くとミニマムベッド、100ドルのテーブルで、常に5~10枚ものチップをかけつづけていた。
「この人どんだけ金あるんだ?」と思った。
私は再びブラックジャックのテーブルにつき、プレイしたが勝てず、今回ラスベガスに持ってきた所持金の半分をすでにすってしまった。
ボスの席に戻ると、私を見るなりボスは近づいてきて、「しおん、今いくら持っている?貸してくれんか?」といわれ、ボスに残りの所持金の100ドルを貸してすっからかんになった。
「ボスあんなに賭けて、負けてるのかよーwww」
「ボスにとったら100ドルなんて、はした金だろうに、なにもわざわざこんなオレから借りなくても、、、」
と口には出さず、苦笑した。
そのあと、韓国人のホステス4人たちと合流し一緒に過ごすことになった。
その内の一人が、私と腕を組んできた。その当時の私はとてもシャイだったので、すこし照れくさかった。
ホステスたちに連れられ、自分が泊まっているホテルとは別のホテルへと向かった。
ホテルに着き、エレベータで最上階へと向かった。
エレベーターから降り、重厚な部屋の扉を開けると、広いリビングが見え、その奥に行くと部屋があり、そのまた奥にも部屋があり、その両側にも部屋があって、各部屋には必ず浴槽付きのバスルームがついていた。
「いったいいくつ部屋があるんだろう…」
「これが本当のスイートルームってやつか…」
と初めて見るスイートルームに羨望した。
ホステスの話によると、この部屋に泊っているのは、私が生まれてこのかた出会った男の中で、「この人おっとこ前だなぁ」とつくづく思った、3本の指に入るうちの一人だった。
今、彼はここにいない。
彼はボスのビジネスパートナーのうちの一人で、サウナやレストランでたまにみかけた。私をみつけると、いつもその甘いマスクで、ニコニコと笑顔で手をふってくれる。
こんな屈託のない笑顔を見たのは生まれてはじめてだった。 だからそのとき私は、「どこから来たのか何者なのかわからないこの若造に」そんな裏表がない笑顔ができる彼がとてもかっこよく思えた。
ボスに連れて行ってもらったサウナで会ったときも、彼は石鹸で泡だらけになった私の手に握手を求めてきた。
私はためらったが彼は気にせずそのまま握手をした。
私は、このストーリーを書いている今でも、彼みたいな男前を目指したいと思っている。 彼は私の永遠のライバルなのだ。
1時間もそのスイートルームで過ごしていると、「普段女の子と接していなかったり」、「この豪奢な雰囲気がなじめなかったり」、「いつあの男前の韓国人が返ってくるのか」と思ったりして、そわそわしだし、とっても居心地の悪さを感じた。
私が「自分のホテルに戻りたい」と伝えると、4人のホステスたちはみな私を引き留めたが、これ以上ここに居つづけるのもしんどかったので、彼女たちに別れを告げ、自分のホテルに戻った。
私の部屋は20㎡ほどのごくごく普通のツインルームだった。スイートルームとのギャップに後ろ髪をひかれた。
自分の部屋に入ると、ボスの息子とその友達がいた。何も聞かされていなかったので驚いた。
彼らは大学生で、両親について一緒に遊びにきたということだった。私達は一緒の部屋で寝ることとなった。
時計の日付をみると、いつの間にか1月1日になっていた。 今日は21世紀の初めの1日だった。
「ここからがオレの人生のステージの幕開けだ」と、ひとりごちた。
つづく
ストーリー④ おわりに

今回は、私のつくる日本食がボスから無事オーケーをもらい、アメリカン・レストランでのメニューとして出せるようになったこと。そしてギャンブルの聖地ラスベガスで新世紀を送ったことを紹介しました。
次回のストーリー⑤でつづきをお楽しみください。
アメリカに来てからの私は、毎日が衝撃だらけです。
次へ>>【しおんのストーリー⑤】4日間のラスベガスで過ごした最終日の朝、記憶から消せないほどのショックを受ける
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最後まで読んでいただきありがとうございます。
次回、またお会いしましょう。
でわっ!
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