【しおんのストーリー⑤】4日間のラスベガスで過ごした最終日の朝、記憶から消せないほどのショックを受ける

しおんのストーリー

こんにちは、しおんです。

この「しおんのストーリー」では、私の40年以上の生い立ちの中で、とても衝撃的で強く印象に残ったできごとを紹介しています。

前回は、「私のつくる日本食がボスから無事オーケーをもらい、アメリカン・レストランでのメニューとして出せるようになったこと」、そして「ギャンブルの聖地ラスベガスで新世紀を迎えた」ことを紹介しました。

それではシリーズ⑤をどうぞお楽しみください。

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ラスベガスで過ごす数日の様子

2001年1月1日 ラスベガス2日目

ラスベガス2日目の2001年の元旦は、単独行動をして、1日あちこちと自由に歩きまわることができた。

ショッピングモールへ行ったり、野外ショーを見たり、いろいろなホテルのロビーを見たり、カジノを見に行ったりした。

一人でいろいろな場所に行き、歩きまわるのが昔から好きだったので、充実した時間をすごせた。昨晩みたいに、たとえ美しいお姉さんとでも、何人もいるところで長時間過ごすのはツラく耐えられなかった。

その日の夜は、ボスとボスの奥さん、そしてボスの息子と、ホテルにある高級レストランでディナーを共にした。

そのとき私は、「いつかオレもこんな場所にふさわしい男になろう」「自分の力で財を築き、このボスのようにビジネスをし、ビジネスパートナーをつくり、事業を拡げて、富を築き、そして遊び、人生をおもいっきり楽しんでやろう」と決心したのだった。

この私の元に起きている体験は、ギャンブル依存症になり路頭に迷い、人生のどん底をあじわっているときに「もう、こんな現状はいやです。どうか人生を180度ガラッと変えるようなできごとを起こしてください」と願い、私のもとへともたらしてくれた宇宙の神秘といえます。

ラスベガスからロサンゼルスへ戻る日、記憶から消せないほどのショックを受ける

2001年1月3日 ラスベガス4日目 

ラスベガスに滞在して4日目の1月3日の朝、私たち一行はロサンゼルスへ戻ることになった。

ギャンブルをして無一文になった者は、ラスベガスから一歩外に踏み出した砂漠でのたれ死に、コヨーテのえさになっていった。そんなヤカラが今までどれほどいただろうか。

幸い私もボスも、分別があるヤツだったみたいで、全財産をギャンブルで失うことはなく、こうして無事に帰ることができる。

アメリカに来る前ギャンブル中毒になっていた自分が、嘘のように今は賭け事にまったく興味を示さなくなった。

数日間滞在したホテルの外で、一緒に来た4人のホステスたちを待っていた。

ラスベガスの初日の夜以降、彼女たちとは会っていない。

待ち合わせ場所にやってきた女の子たち。

(えっ誰?この子たち、こんな子らもいたんだ)と思っていると、

「ハーイ、しおん、ハワユー?」

といかにも私の知り合いのごとく、なれなれしく挨拶してくるではないか。

「え?、えっ?、えっー???」私は自分の目を疑った。彼女たちはメイクをしていない。

私の目の前で見ている女の子たちは、一緒に来ていた4人の韓国人ホステスの、ノーメイク姿だったのだ。

そのなかには私がちょっぴり恋心を抱いた、私より1つ年上のお気に入りの子もいた。

二重まぶたで、目がぱっちりして色白だったその子は、今は目が小さく、顔中ニキビだらけで赤くはれていた。

そしてもう一人は年齢がメイクしていたときより、10歳も老けて見える。

韓国人のメイクの巧みさに唖然とした。

韓国人のホステスたちの素顔をみて愕然とした私は、このときあらためて、「女性は別人に化けることができる」という真実を受け入れた。

ロサンゼルスに戻って次の日から、ランチタイムとディナータイムに私のつくる「そば」「うどん」「丼もの」がレストランのメインメニューに追加され提供することとなった。

つづく

シリーズ⑤ おわりに

日本の常識だけで生きてきた人には、わからないかもしれませんが、何ごとも始めるっていうことは、ものすごい簡単なことです。 

「そば」「うどん」「丼もの」なんてつくるのはとても簡単です。

たった5日間修行しただけで店で出せるようになるのですから。しかも他の店と味で引けを取ることもありません。 

飲食店を開こうと考えている方に

これから飲食店を開こうと思う方に、ぜひ聞いていただきたいことがあります。

私は24歳のとき、レストランの調理場で働いたことがあるのですが、なんか日本の厨房って独特なんですよね。

接客をしているホールスタッフの方がお客さんの声を直接聞いているのに、厨房のシェフのほうが立場が上みたいになっていて、悪いところが改善されなかったり。いつもその気難しいシェフの顔色を見ながら仕事をしたり、意味がわからない上下関係がありましたね。 

私は日本の割烹料理店や寿司屋、5つ星の洋食レストラン等でみられる、技術継承の慣習で、皿洗いや、なべ底を何年も磨くことを修行としていることに何の意味があるのかと、疑問に思っています。

経営者の立場であれば、一人前のシェフは、見習いの者に料理のノウハウを短期間で継承し、その見習いの者にキッチンを全て任せられるようにする。

そして、一人前のシェフはその豊富な知識と経験で、ファーストフード店のように「マニュアル化できないか」、「オペレーションを短縮できないか」などの試行錯誤をし、人件費を削減したり、オリジナルのメニューを開発したり、ということに時間と力を注いでほしいと思うのではないでしょうか。

アメリカのレストランでは皿洗いや鍋底を磨くのは、ディッシュ・ウオッシャーと呼ばれる洗い場専門のスタッフが行います。

アメリカでの効率を第一に優先するビジネスのやり方を目の当たりにして、華僑やコリアンタウンが人口と広さで、シティーサイズで世界の各国にあるのに対し、アメリカの大都市ロサンゼルスであってもリトル東京は小さな小さな一区画でしかないのが分かるような気がします。

それだけ、日本は効率が悪いビジネスをしているといえます。

今自分の店を持とうと考えている人は、とにかく出せばいいのです。資本があまりかからないならなんでもいいのです。

飲食店は本当は設備投資なんてほとんどかかりません。 初めは屋台みたいな小さい店でいいのです。ガスコンロ、まな板、包丁、フライパン、鍋といった日頃つかっている道具だけで出店できます。

日本人は、物事を始めるのになにかにつけて、準備をする時間をとりがちで、格好をつけたいのか、見栄えのいい店にしようと資本をたくさんかけ、内装や、設備などにお金をかけます。ですが、その資本の回収のめどはどうやってつけられるのでしょう。

始めはあんまりお金をかけずに、失敗したってそんなに損にならないくらいにして、 小さく出せばいいのです。失敗したらまたどっかで働けばいいのですから。 

だから、自分の店を持ちたいと思っていて、計画や準備期間や資金繰りで頭を悩まし時間をむだに過ごしているのなら、すぐにでも警察署に行き、保健所に行き、開業の申請すれば、その日からもうあなたは個人事業主の社長になっているのです。

長くなりましたが、以上、私が日本の飲食業界に不満に感じていることを、この場を借りて述べさせていただきました。

次回のシリーズ⑥では、私の出す日本食はアメリカン・レストランのメニューとして無事にスタートしたものの、1週間後に新メニューの課題をボスからだされます。さてその結果はどうなるのでしょう。

ぜひ、次回もお楽しみください。

次へ>>【しおんのストーリー⑥】日本食のメニューをスタートしてから1週間後、ボスから言いわたされた新メニューの課題とは

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最後まで読んでいただきありがとうございます。次回、またお会いしましょう。
でわっ!

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