こんにちは、しおんです。
しおんのストーリー第1章では、ストーリー11回にわたり、日本での挫折後、アメリカ・ロサンゼルスでおきた、私の人生の中でとても衝撃的で印象に残ったできごとを紹介しました。
しおんのストーリー第1章はこちらからご覧ください>>【しおんのストーリー第1章①】役者になることを断念し、食品の個別宅配のアルバイトをしながら、パチスロ中毒になり、人生の路頭に迷ってから、アメリカ合衆国に移住するキップを手に入れた話し
そしてアメリカの仕事でも挫折し、日本に帰国したあとの13年に及ぶ生活は、もうこのロサンゼルスでのできごとのような衝撃と人生観を一変してしまうことは一度としてありませんでした。
その13年間はまるで、目の前の光景がいつもグレーのフィルターを通して世界を見ている「試練」と呼べるような人生でした。
その13年後に、また人生をがらりと変わるできごとがおこるのですが、その前兆とよべる「不思議な体験」にいくつか遭遇したことをストーリーの前半部分でお伝えし、後半部分では人生ががらりと変わったあと、「無一文へと人生転落の一途」をたどったことを紹介します。
それでは、【しおんのストーリー第2章①】の始まりです。どうぞ最後までお楽しみください。
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しおんのストーリー第2章

26歳~35歳:国内で人生にやりがいを求め、転職を繰り返す
アメリカから帰国してからは仕事にやりがいを求めて転職を繰り返します。
ここでは、転職した仕事内容をさらっと紹介します。
日本に戻ってからの仕事内容は、工場の派遣労働→飛び込み訪問営業→ガールフレンドが経営する、スナックの仮オーナー→クラブのバーテンダー→リフォーム営業→車営業、と人生にやりがいを求め転職を繰り返した。
35歳~:国内最後の仕事、中古車買取店の営業~新車ディーラーの営業で不思議な体験をいくつもする
30歳のとき40歳の3月に起業すると宣言し、その時期がせまるにつれ私の身に不思議な現象が起こりはじめる。
35歳の6月に業界大手の車買取専門店に入社をし、そこで毎月好成績を残して頭角をあらわし37歳のとき、系列会社の新車ディーラーの営業に抜擢される。
38歳の夏頃から新車ディーラーの営業をやめたいと思い始める。
新車ディーラーの営業は、毎日多忙な業務の中、販売ノルマをこなしつつ、成績を上げれば上げるほど顧客が増え、さらに忙しくなるという出口のない無限のループに、はまってしまっていた。
それに輪をかけて、留守の顧客宅に訪問する業務や、毎日遅い時間までだらだらと行う終礼や、新規に商談をしたお客さんに、ショールームを閉めてからの自宅訪問を強制したりと、ムダだと思える業務が数多くあり、その仕事に違和感を感じていた。
38歳~:38歳の11月頃から前兆とも呼べる不思議な現象が私のもとにあらわれはじめる
38歳11月【前兆】部長の兄から無茶難題をいわれ
そのころは新車ディーラーの営業をしていた。
仕事をいつもどおり遅くに終え、車で帰宅しているところに携帯がなった。
会社の社長からだった。
電話にでると「飯を一緒に喰わないか」
ということだった。
そのときは、日々の仕事の忙しさで疲弊していて、人と接することも億劫になっていたので、社長の誘いにあまり気のりがしなかった。
ただ社長から直々の呼び出しだから断ることもできず、また久しぶりの誘いだったので「これはなにかある」と直感がはたらき、社長が指定した店へと向かった。
店はこじんまりとした小料理屋だった。入り口の引き戸を開けると社長はカウンター席で、会社の相談役といっしょに飲んでいた。
私は相談役の隣に座った。
同じ営業部署の上司にあたる課長と、人間関係がうまくいってないことを社長から指摘された。
実際私は以前から課長に盾をついている。
私の心境は社長も分かってくれていた。
その課長がどれだけ理不尽なことを部下にいう人物かは、複数人の別の営業マンから聞いているのだろう。
社長自身も課長は上司としてあまり適任でないと感じていて、人間的にも好んでいないことがわかった。
ストレートに態度に出てしまう私は、人道的に反していると思ったことはどんな人でも拒絶してしまうので、課長からは良い目でみられることはなかった。
「長いものには巻かれろ」的なことは私の性格上できない。私は本当に会社組織にむいていないと思う。
私の右どなりの席には、会社の部長の弟が座っていた。
部長の弟は私の会社とはなんの関係もない人で、過去に一度だけ面識があった。
隣から話しかけられ、身の上ばなしをお互いにし、話題は私の営業のことになった。
新車の販売はだいたい、5台売れれば上々の成績といえるのだが、その人から、
「君はできる、ぜったいに月10台売れる」
「そして地域1番になれる、ぜったいなれる」
「おれが言うんだから間違いない」
「自分で自分の壁を作っているだけだ」
「今の自分が思っているよりも、まだまだいける」
「ぜったいできる、君ならできる」
このとき、何で義理もない私にこんな無理難題をいうのかがわからなかった。
10台という数字になんの根拠もなかった。
部長の弟は、営業とは全く関係のない土木会社で配管工をしている
私は内心「簡単にいうけど新車10台ってどれだけ大変なのかわかっていってるの?」
と思った。部長の弟の話しを苦笑しながら聞いていた。
38歳 12月【前兆】金鳳凰の夢を見る
鳳凰が出てくる夢を見た。それも黄金に輝く金の鳳凰だ。
羽を大きく横にひろげ、山の稜線から上空へとゆっくり昇っていく。
空一面をもおおうくらいの大きさだ。
鳳凰の体からは、黄金に輝く羽毛がひらひらといく片も落ちていく。
まわりの景色全体が黄金色に染まった。
目が覚めた。5秒くらいの夢だった。
鳳凰がでてくる夢をみたのは生まれて初めてのことだったので、気になり夢辞典を調べてみた。
「非常に大きな権威や権力」「大いなる幸運」「豊かな生命力」
とあった。
38歳 12月【前兆】未曾有の新車10台販売
そして金の鳳凰をみた、その12月のカーセールスでの営業成績は、私が入社してから他の営業が誰も成しえなかった新車販売10台を記録した。
その月は見えないなにかに引き寄せられたかのように、お客さんが訪れ、私は無理することなく、自然とその人達から契約をいただいた。
その月に、会社から配属希望の紙が社員に配られた。
他部門へ異動がしたいなどの希望があれば記入し提出するという書類だった。
別部門で海外進出の話しを聞いていたので「海外事業部の配属を希望する」と書き提出した。
11月に社長に呼ばれて小料理屋に行き、義理もない部長の弟にいわれた「君なら10台売れる」が本当に実現となった。
第2章ストーリー① おわりに
40歳の3月までに起業すると、30歳のときに決めてからその時期がちかづくにつれ私のもとにどんどん不思議なことが起こるようになります。
ストーリー②でもひきつづき、私のもとにおこる何かの前兆ともよべる不思議な現象をお伝えしていきます。
次回のシリーズ2をぜひお楽しみください。
次へ>>【しおんのストーリー第2章②】人生が一変する前のいくつかの不思議な【前兆】とは
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最後まで読んでいただきありがとうございます。
次回、またお会いしましょう。
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