【しおんのストーリー第二章③】再び海外移住のキップを手にいれるが、「無一文」へと転落していくさま

しおんのストーリー

前回までのストーリー①、②ではアメリカでの仕事に挫折し日本での生活の13年間は屈折ともよべる「試練」の時代を過ごし、13年後にまた人生をがらりと変えるできごとがおこるのですが、その前兆とよべる「不思議な体験」にいくつか遭遇したことをお伝えしました。

今回は再び海外移住のキップを手に入れたのにもかかわらず、そこから「無一文」へと転落していくさまを紹介します。

ではストーリー③をどうぞお楽しみください。

※私の「プロフィール」、「しおんのストーリー第1章」をまだ読んでいない方は、ぜひこちらをご覧ください。

>>【プロフィール】海外で「コネなし」「仕事なし」「預金なし」「友人なし」で無一文になり復活をとげた、転職コンサルタント、カー・トレーディングアドバイザーの話し

>>【しおんのストーリー】役者になることを断念し、食品の個別宅配のアルバイトをしながら、パチスロ中毒になり、人生の路頭に迷ってから、アメリカ合衆国に移住するキップを手に入れた話し【シリーズ①】

39歳 11月 新車ディーラーを退職 海外移住にむけて【再び逆転劇】

退職してからは自由だった。会社にもう行かなくていいという解放感があった。

しかも次の仕事は海外だ。

アメリカからの帰国後13年経ってやっとチャンスがめぐってきた。

「これで念願の海外移住ができるかもしれない」と思い意気揚々としていた。

フィリピンへ行く準備などを着々と進めていった。

※このときフィリピンの海外事業のスタートアップの準備をしていました。事業の内容、フィリピンで行なった仕事内容などは守秘義務があり、伏せさせていただきます。

40歳4月 フィリピン入国

フィリピン入国の日

マニラ国際空港に到着した。その空港の小ささと、レストランやラウンジなどの施設がほとんどないのとで、まずは来てみてびっくりした。

空港から出ると、会社のドライバーが迎えに来ていた。

車の後部座席に乗りドライバーは出発したが、いきなり駐車場の出口の大渋滞にはまった。

出口に向かって各々の車が、われ先にと急ぎ、割り込んできた。

ゆずりあいの精神などかけらもなかった。

国際空港が運営している駐車場なのに、出口の料金支払いのゲートが2ヶ所しかない。明らかに車の数に対して出口が少なすぎる。

40分くらいかけ、ようやく駐車場から出られた。それから市内に向けて車を走らせるが、そこでも渋滞が待ち受けていた。

私はフィリピンに来るのは初めてで、しかも何の予備知識ももちあわせてはいなかった。

フィリピンに来る前は、フィリピンの首都はロサンゼルスをコンパクトにした感じで、タイのバンコクくらいの規模だろうと勝手にイメージしていた。

今、目の前にしている光景は人、人、人、犬、猫、人、人、人、犬、猫と

あらゆるところに人と動物がいて、小さな店があちこちにあり、バラックなどもあリ、いたるところの道路が整備されていない。

ストーリーとチルドレンも数多く見られる。

道路は渋滞しクラクションの嵐だった。

想像していた場所よりも依然、発展途上が感じられ、「やばいところにきてしまったな、、、。本当にこんなところで住めるのかな、、、。」と思っていた。

フィリピンに足を踏み入れた印象は、25歳で初めてロサンゼルスの地に行った日とは正反対の心境だった。ロサンゼルスでは見るもの全てが新鮮で光輝いて見えたが、フィリピンは、見る風景が黄色い砂に包まれてほこりっぽい感じがした。

40歳4月~40歳前半 無一文に転落するまでの情景

セクハラ疑惑

アメリカで挫折して日本に帰国し、約13年の歳月を経て、ようやく再び海外で仕事ができることになった。

それから、ものごとが順調にいったのかというと、そんなことはなかった。

フィリピンでの海外事業部でのプロジェクトは、予想していたよりお客さんが少なく、売上もあがらず、業務に陰りを見せ、1年ほどしてフィリピン側のオーナーから「店舗の業態を変えると」通告があったと同時に、その業務を辞めることにした。

それから、「人生の転落の一途」をたどるとは思ってもみなかった。

知人の紹介で、ある店舗の立ち上げのプロジェクトに関わったのだが、ある日突然、そこで教育をしていた新人スタッフの女の子が「私からセクハラを受けた」とオーナーに訴え出たのだった。

ここで断言しておきたいが、私はセクハラは一切していない。その子が訴えたのは私が教育を厳しくしたことへの報復だと思う。

そこでの仕事はやむなく辞めさせられることとなった。

プロジェクトを任され道半ばで、新人スタッフにじゃまをされ屈辱だった。

まあ、そこのオーナーもひどい人で、最初は1つのブロジェクトに関わる話しが、他に2つのプロジェクトを私にマネジメントさせようと考えていて、さらにそのプロジェクトがスタートしたら「19時間労働くらいやってもらいます」くらいのことを平気でいう人だったので、「結果よかった」のかと今は思う。

再び同じ知人のつてで、その人が投資している日系のベンチャーの会社に入社することとなった。

ベンチャー企業でパワハラ

そのとき何を血迷ったか、一度ローカルの人と同じ条件で働いてみようと、自らフィリピンの最低賃金(手取り、約22、000円/月)で働いてみることにしたのだ。

しかも入社してあてがわれた住居は、会社のオフィスビルの横にある古いマンションで3LDKの部屋に7人が共同で住み、私の部屋は3畳ほどの広さに、太ったフィリピン人と相部屋だった。

その太ったフィリピン人の体臭が臭く、本人がいなくても部屋に臭いがこもっていた。

その体臭で部屋にいるのが耐えられず、仕事が終わってからはいつもカフェに寄り、夜の12時くらいまで時間をつぶし寝に帰るだけの生活をしていた。

私は、以前から「茨の道を歩めば、成功する」ということばを本当に信じていて、ローカルの最低賃金で生活することで茨の道を自ら進んでいった。

そのときの情景は【成功する考え方】茨(いばら)の道を歩むと茨から出られなくなる【人生を効率よく豊かに生きられる】の記事に、失敗談として記事にしています。

このフィリピンの最低賃金22、000円で毎日カフェに行き、1日240円のコーヒー代を払い、1回の食事が100円という生活でもやりくりできずに、少ない預金を切り崩していた。

フィリピン人ここからさらに、「ベッドスペース」と呼ばれる1部屋に2段ベッドが3台置かれた6人の相部屋に住み、家賃5、000円ほどを支払い、交通費も実費で通勤をしている。

「いったいみんなどうやって生活してるのだろう?」と不思議に思う。

仕事では早く成果を出したいと思い、色々と試行錯誤したが、なんせベンチャー企業なんで、既存の顧客があるわけではなく、全て新規開拓しなくてはならず、結果もすぐには出せないのは当然のことだ。

それなのに結果が出ないことを、その会社の雇われ社長が、ふだんから私にぐちぐちといってくるのだ。

私はそんな、上からのモノの言い方で圧力をかけてくるヤツには、新車ディーラーの営業のときに上司に抵抗してきたのと同様、体が受けつけず反発するようになっている。

そんな私の取る態度が気にいらないのか、しまいには私のことを「小学生以下だな」「犬以下だな」といい始めた。

ある日、大したことでもない起きた件に対し、理不尽に訴求するものだから、反論し言い返すと、私の机を蹴り出す暴行にいたり、雇用側の立場で従業員をののしるのに呆れ、「これ以上はこの人と関わりきれない」と感じた。

そこで再び、フィリピンに来る前に書店で目にとめた「好きなことだけして生きていけ」の本のタイトルが頭に浮かび、その場で荷物をまとめその会社を去ったのだった。

それからは、お金のあるうちはカフェに行き本を読んだりして一日を過ごし、コンビニでブランデーやラム酒のハーフボトルを買い、公園に寄ってチビチビと飲み深夜12時になると3畳間の相部屋に戻る毎日だった。

その後1ヵ月のあいだ、仕事探しも何もせず預金が底をつき、手持ちのわずかなお金で、1日100円の食パンと1ボトル100円のラム酒を買い、公園で1日を過ごす日々が1週間ほど続いた。

つづく

シリーズ③ おわりに

フィリピンに行ってから生活が一変したあと、順調にものごとがいったわけではなく、間違った思考をしていたため、生活がどんどんと悪い方向へと向かっていきました。

次回はとうとう「無一文」になり、人生奈落のどん底を味わいます。

次回のストーリー④をぜひお楽しみください。

次へ>>【しおんのストーリー第二章④】最終話

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最後まで読んでいただきありがとうございます。
次回、またお会いしましょう。
でわっ!

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