人生でやってよかった30のこと 【20~30】

やってよかった

ここでは私が生涯でやってよかったことを紹介します。

「なにがしたいのかわからない」

「この世になにしに生まれてきたのだろう」

とひんぱんに思う人は、私の中のよかったことのリストから興味がわくものがあったら試しにやってみてください。きっと今日から彩のある人生に変わるはずですよ。コツは今すぐはじめることです。

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21、転職

転職経験はこれまで14回ありますが、ここでは転職してよかったときの例を一部あげます。

  • クラブのバーテンからリフォームの営業
  • リフォームの営業・現場監督から車買取店営業
クラブのバーテンからリフォームの営業

クラブのバーテンとして3年働いていました。このビジネスだったらほとんどなんのスキルも必要なく、自分の店をもって稼いだほうがいいとおもい辞めました。

日給8000円でホステスの送迎に自分の車を出していたのですが手当なしです。

そのまま続けていても、低賃金の雇われの身で、スキルも身につかずどうにもならなかったでしょう。

都会のクラブだったらまだ一流の人が集まってきて、刺激になりますが、地方でクラブといってものラウンジのようなところで、大手企業の接待でつかったり、地元のパッとしない個人事業主などが集まってくるだけで、3年経ってからはなにも得るものもなかったですね。

リフォームの営業・現場監督から車買取店営業

リフォームの営業・現場監督に就いたときは、「好きな建築の仕事で働ける」と思っていましたが、会社が全然儲かってなく、給料、歩合も安すぎてしかもそこで働いている人のお金のなさ、生活のしょぼさ、覇気のなさにあきれて辞めました。

こういう人たちと付き合っていると、「将来自分もああなってしまっていたのではないか」と思うとゾッとし早く辞めてよかったと思っています。

副業がバレて辞めさせられたのですが「手取り16万円のみみっちい給料で副業しないでどうやって生活していけるというのでしょう」会社で副業を禁止しているのが意味不明です。

車買取店の営業はやりがいがありました。成約をすると歩合がもらえ成約をあげることにどんどん給料が増えました。

また、成約が決まると自分自身に「よくやったと」いう自尊心と、気分がよくなる光悦感を覚えました。

このとき車の営業は未経験で知識もほとんどなかったのですが、仕事が終わってからも車や営業、心理学の勉強などを熱心にし仕事に打ち込んでいました。

22、他人に声をかける 声かけ

私は以前からずっと「街にはこんなに人があふれていて、世の中の人々が存在して、それでいて、なんでほとんどの人が自分と関わりがないのだろう」と感じていました。

そして目の前の気になる人と関わりたいとずっと思ってきて、ある日その思いが爆発し知らない人に声をかけるようになりました。


それから仕事でもセミナーなどに行き、知らない人に声をかけ連絡先を聞き面談をし、新規開拓で成果を何件もあげることができるようになりました。

声掛けをしてわかったのは、そうやっていろいろな人と関わっても本当に密な仲になるのはわずかだといえます。

ですので、ふだん密な関係になる人とのつき合いを大事にしようと思えるようになりました。

また、「人生でやってよかった30のこと」の15番の孤独感が薄らいだということと、人はだいたいみんな似たりよったりで、そんなに大した人間には普段合わないというのが実感です。

23、メイドさんを雇った


毎朝、Yシャツにアイロンがけをするのにほとほと嫌気がさし、メイドさんを雇ったのがきっかけです。

究極の時短プレー

掃除、洗濯もしてくれるので、とにかく今まで家事をしていた時間を別のことにつかえるようになりました。

誰かができることは、わざわざ自分でする必要がなく、得意な人に頼めばいいのです。

この経験から

  • 苦労はお金をもらってでもするな!
  • 家事はお金を払ってでもするな!

という名言が産まれました。

24、屈折

26歳から36歳くらいまで屈折してました。

屈折する前の22歳~24歳のころは、役者で舞台の仕事をしていて、東京に行って本格的に役者を目指すことにしました。

しかし入った劇団に自分が出演する舞台だけでなく、主催者が製作した映画のチケットノルマもあり、経済的に無理と判断。

それからアルバイトをして生計をたてていくだけの目的のない人生となり、さらにパチンコ中毒になってしまいました。

そこで 「人生でやってよかった30のこと」 の29番の願い事をしてから、ひょんなことからロサンゼルスに仕事に行けることになりました。

しかしその仕事は1年で挫折、日本に帰ってからは、自分に自信がもてず、日々悶々と過ごしていました。

役者のころの前向きな性格とはうって変わってしまい、全てにおいて自信が見出せなかった時期(26歳)です。

ロサンゼルスでの生活が衝撃的過ぎて帰国してからの日本での10年間はまるで廃人(言いすぎか?)のようでした。

屈折してみて

屈折していたから36歳で就いた車営業の仕事では本気で取り組みました。

本気さがいきすぎて、息つぎをせずにいたらしまいに燃え尽きてしまいました。

そのため今は、何ごとも必死にやってはいけないことを知り、何でも楽にやろうと決めました。

25、YouTube

自分の思いを動画で発信できる

YouTubeが世に出るまで、自分の考えや、人にうったえかけたいことなどを世間に発表する方法がどれだけあったでしょう。

私みたいな何の肩書きのない一般人が世間に自分を公開できる方法がYouTubeです。

私のYouTubeのつかい方は、まずブログで伝えたいことを書き、そのブログの記事をYouTube用に台本を編集、収録し、1人語りの動画を発信しています。

そうすることで、ブログを見ない層も観てくれるようになります。

YouTubeでの可能性は、自分の趣味を公開したり、自分の公演会を開いたりといろいろ出てきます。

26、ロサンゼルスに行った

24歳のとき、仕事でロサンゼルスに行って体験したことは、生涯で1番の忘れることのできないパッションを受けた出来事でした。

そこでは日本との比較して、街の何もかもが規模が大きく、豊かさの違いを知りました。

またロスに行く前に、「何か人生をガラッと変えることが起きますように」と願っていてそれが本当に叶い、やっぱり願い事って叶うんだということを知りました。

ロスから日本に帰ってきてからは、ロサンゼルスの体験にくらべると何もかもが衝撃がなく、36歳で車営業の仕事につくまでは廃人のように生きていました。

日々の生活が悶々として、なんか人生が行き詰まっているように感じるなと思ったら、環境を変えるのが1番です。

27、無一文

40歳から仕事でフィリピンにきて、職を失い無一文になった経験があります。

その後、不思議な見えない力がはたらき、無一文から復活したことで、「どん底に落ちても、人は簡単には死なない人生なんとかなる」ということを知りました。

28、役者

21歳から23歳まで役者の仕事で舞台に立っていました。

人前に立つことで自信がつきました。
毎日が挑戦で、毎日、いろんなことから学びました。

自分のファンができたり、楽しいことも多かったです。

「自分は人前に立つことが好きなんだ」ということを知りました。

29、願い事

18歳のときに横浜に住んでいて、その頃通っていた美容室のオーナーであるお姉さんから、「願いは叶うんだよ、願えばそのとおりになるんだから、願ってみな」と教えてもらいました。

そのお姉さんはなんか不思議な雰囲気をかもし出している人でした。

その人のいうとおり、願い事をつぶやくだけでどんどんと願い事が叶っていったのです。

願い事が叶った例はというと、

18歳のときに横浜に上京し、会社の人しか知らず、遊ぶ人がいなかったので、「友達が欲しい」と願っていたら、その1ヶ月後によく行っていたカレー屋さんの奥さんから、歳が1つ下の人物Sを紹介してもらい、それからSと毎日遊ぶようになりました。

それから、「彼女がほしい」と願う、歯科助手の娘から急に電話がきてつきあうようになる、→1ヶ月で別れる→「優しい彼女がほしい」と願う→2歳年上の看護師さんとつきあう→1年程で別れる→「Hで美人な彼女が欲しい」とつぶやく、そのとおりの子とつき合える。

25歳のとき、役者になることを断念し、挫折していた→「人生を180度ガラッとかえることを起こしてください」と願った→2ヵ月後にロサンゼルスで仕事をしていた。

とこんな感じでどんどんどんどん願い事が叶っていったのです。

タダでできるので、皆さん願ってみてください。

30、尊敬に値する人に出会えた

私が今でも尊敬する人は、以前車営業をしていたときの社長です。

そのとき手掛けていたその社長の事業は、

  • 新車ディーラー1店舗
  • 車買取店2店舗
  • 未使用軽自動車店 4店舗
  • 飲食店 10店舗
  • 海外飲食店1店舗
  • 福祉事業


と私と2歳しか歳が違わないのに、すでに事業を多数展開していたのです

社長は新卒1年で新車ディーラーを脱サラし、町の小さな中古車店を出店したそうです。

それからどんどん事業を拡大していって一代で成り上がっていったので実力があるのでしょう。

つねに挑戦しつづけているといった感じでしょうか。

いつもスーツをビシッと着て、身なりやしぐさがとにかくかっこいいし、社長といっても気取らず、男気があり従業員のことをよく気にかけていました。

始めて彼に会ったとき、体から青いオーラが出ていて、「オーラがで出ている人ってこういうことをいうんだ」と思いました。

オーラがでている人物に会うのはそれが初めてでした。

まとめ

好きなものを持ったり、いろいろな体験をしたりすると人生に彩が生まれます。つらかったできごともあとあと思いかえしてみると、忘れられない貴重な経験となることがあるものです。

現状が悲惨でもきっとよくなることがあるので、もがきあがかずにそのときを、じっとやりすごすことも大事です。

ここで記事にしてみて気づいたのですが、私のやってよかったことに勉強や、学校、資格を取ったといったことが一つもないことです。

私の場合、人生とは実践する体験するがモットーでそこで出会った人や起きたコトがやってよかったことにつながっているとわかりました。

人生でやってよかった30のこと おわり

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
次回またお会いしましょう。
でわっ!

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